「苦労はしても  06.11.19 渡部信子牧師
                    マタイ福音書6:25〜34

 「空の鳥をよく見なさい」、「野の花がどのように育つのか、注意して
見なさい」。主イエスがそう言われるのは、鳥や花のように苦労しない
気楽な生活をしたらよい、ということではありません。
 主イエスは「苦労」することと「思い悩む」ことを区別しておられます。
 私たち人間が毎日苦労するのは当然のこととして認めておられます。
 だから「きょう」という日は、その日の苦労を精一杯すれば十分だ、と
言われるのです。そういう生き方の模範として、鳥や花を示されたのです。
 思い悩むとは、私たちの力や予測の範囲を超えた未来のことを、くよくよと
考えることです。予測できることであれば、それはきょうの苦労として準備を
します。
 しかし、それを超えること、私たちの領域でないことを思い悩むのは、
何にもならないことです。
 そうかと言って、わたしたちはきれいさっぱり思い悩むことをやめられる
でしょうか。
 主イエスの示される解決方法は一つです。「何よりもまず、神の国と
神の義を求めなさい」。この世界はすべて、見えない王なる神が愛を
もって治めておられると信じることです。
 そして、神と私たちの関係がただしいものであること、すなわち、
私たちは神によって罪ゆるされ、神の子とされていることを信じるのです。
 私たちは、自分のことで自分が思い悩むのは当たり前と考えますが、
実は、私たちのことで思い悩むのは本来神のなさること、神の領域であると
聖書は語ります。
 自分の知恵や力ではどうにもならないこと(たとえば、命のこと)を、
それでも悩んで解決できるかのように考えるとき、私たちは神さま顔を
しているのと同じだ、と。これこそたいへんなことではないでしょうか。
愛の神がわたしたちの未来に最もよいものを用意してくださっています。
 一日の苦労を引き受け、神のものは神にお任せして、伸びやかに
生きる信仰をお与えくださいと祈りましょう。